狭く薄暗い部屋の中で三人の男が息を呑む。二人は中澤の次の言葉を待っていた。大して長い時間沈黙が続いているわけじゃないのだろうが、僕にとっては一分が一時間に感じる。中澤はわざとらしい咳払いををした後、ひとくち水を飲み背を向けたまま口を開いた。
「吉田理恵子はもう一人存在する。金山悟が交際していた女は吉田理恵子ではない。そして、金山悟は狂っている。この三つが現状で考えられる線だ」
「狂ってるって、僕は嘘なんか」
「冗談だよ」
恐らく中澤は二つの線しか思いつかなかったのだろう。しかし、自信たっぷりに三つと言い切ってしまった手前、どうしてもあとひとつの線を探さなければ格好がつかなかった。あの微妙な沈黙の時間が実は落ち探しだったとは・・・
「どういうことですか?」村上が中澤に求めた。冗談を流したかたちとなったが中澤は別段むっとする様子もなく二つの線について話はじめた。
「金山悟が嘘をついていないということを信じるならば、彼の中での吉田理恵子は被害者とは別に存在するのだろう。同姓同名の人間が存在してもおかしい話ではない。問題はもうひとつの線だ。金山悟が交際していた女は吉田理恵子ではなく全くの別人。つまり、実在する吉田理恵子の名前を利用して被害者になりすましていた」
なるほど理にかなっている。でも一体何故。もっと深く掘り下げて聞きたかったがそれ以上は話そうとしない。また沈黙が続く。
「ここまでだ」中澤はそう打ち切った。
「捜査状況はどうなっているんですか?」
「今日は帰りなさい」
「話してくれるまでここにいます」
「おまえは警察じゃない。一般人だ。情報が漏れれば捜査がやりにくくなる。捜査はプロにまかせておけばいい」
「秘密は守ります」
「金山悟もまだ容疑者だ。容疑者と手を組むことはできん」
ショックだった。頭ではわかっていても実際に面と向かって言われるとさすがに落ちる。
「また連絡くれ」メモ紙に自分の携帯番号を書き、僕のポケットのそれを押し込むと中澤は扉を開け部屋を出た。
「あまり深入りしないことだね。言い方は悪いかもしれないけど、これは探偵ごっこじゃない。それに、思っているよりも素人には危険だ。何らかの事件に巻き込まれる可能性だってある」
最初は村上に対してパッとしない刑事のイメージを持っていたが、今度ばかりは妙な説得力があった。言われなくたってわかる当たり前のことしか言われてないのに、今目の前にいる村上は確かに刑事だ。迫力とは違う圧迫感に押され、僕はつい立ち上がってしまった。その屁っ放り腰な自分を隠そうと、芝居がかった声で質問した。
「村上さんの中でも僕は容疑者ですか?」
「僕はね、自分が見たことしか信じない。捜査をする過程で多くの可能性を想像するのは大切なことだけど、自分の想像に自分自身が惑わされてはいけない」
質問の答えにはなっていなかったがそれ以上は聞かなかった。別に勝負しているわけではないが負けた気がしたからだ。僕は軽く頭を下げ、村上と目を合わせることなく部屋を出た。出口まで見送ってくれたが言葉を交わすこともなく正面出口の自動ドアを跨いだ。
「ただ、真実はいくつもの想像の先にあるものだから」そう言うと村上は戯けたような仕草で笑った。僅か2メートル程の距離を自動ドアが遮り、別の空間へと変化させる。ガラスには異空間にいる村上の姿と反射した自分が映っている。なんとなく虚しさを感じた。振り返ると守衛が二人、来た時と同じように立っている。
桜並木の帰り道をゆっくりと歩く。地面いっぱいの花びらが傾いた太陽の光で赤く染まっている。皮肉にも散る前の色より綺麗だ。その芸術品を踏みつけながらいろいろなことを考えた。中澤の言葉、村上の言葉・・・確かに、僕は自分自身に惑わされていた気がする。